Monday, April 16, 2012

大人になる憂鬱


何となくですが最近また枝分かれの道に来てる気がします。
ここ数年、たびをする事によって他のかたちの人生を垣間見たりしてます。

いつもの通り、自分が誰かも曖昧なままで、自分にとって何が一番大切なのかもまだわからないまま、ただ日々を過ごしています。

わたしにはスイス人の親友と呼べる男の子の友達がいます。
気がつけばもう、5年間も友達です。びっくりです。
先週、彼がベルリンに遊びに来て、今回はわたしの他の友達も交えてたくさん話をしました。
ちょっと似ていて、結構違う私たちですが、彼はいつも小さな事をわたしに気が付かせてくれます。

ベルリン暮らし10ヶ月程が経とうとしていますが、わたしはここで親友と呼べるくらいに距離の近い友達ができました。
イタリア人、ドイツ人、ハンガリー人、オランダ人、イスラエル人。
日本にいて同じ日本語を喋っても、こういう友達に出会える機会はなかなかありません。
どこにいてもこういう出会いがあるのは、とてもしあわせな事だと思います。

ひとりひとりが違う環境で育って来たり、故郷や宗教が違ったりとベルリンで会う人は日本で出会うひと以上に十人十色です。
でもそんな彼らの中にも、彼らとわたしの中にも何か繋がりを持つものが必ずあります。
時には、経験だったり興味だったり、考え方だったり。

当たり前の事ですが、わたしたちがよく忘れてしまいがちな事。
忘れて、思い出して、新しく覚えてを繰り返してみんなが柔らかい形になっていければ素晴らしいと思います。

今まで出会った事のないようなタイプの人だったり、見知らぬ人だったりすると、普段より余計に構えてしまいがちになってしまったりします。
先入観だったり、早とちりだったり。
でもそれがちょっとした切欠で変わったり。
目に見えるものだけが、すべてはない事。

わたしたちは生きていく中で何かを上手にオブラートに包んだり、大切なものや見られたくないものをどこかに隠す術を知らず知らずに習得して。
器用になったり、別の面で不器用になっていったり。

人と人との触れ合いで生まれる面白さ、そして難しさがそういうデコボコの中にあると思います。

わたしはよく、みんなすごく器用に暮らしてるなと感心してしまう事があります。
たまに羨ましくもなったりします。
まだ知らない事もたくさんあって、まだまだわからない事だらけなのでたまに自分にがっかりしてしまう事も多いわたしですが、まあ、自分と他のひとは違うものなので。

時間は過ぎるし、わたしも少しずつ年を重ねて行きます。
何かを失って、また見つけて。
でもたぶん、それで大丈夫。

綺麗なものや眩しいものだけではなくて、汚いものや暗いところも見たいんです。

どこに行っても、誰と会っても、わたしでいることが赦されることを学びました。
その時を楽しむ事がとても大切だとわかりました。

だから今日も自分に、おやすみなさい。




picture:ベルリン

No comments:

Post a Comment