いつからか旅に片思いをしています。
中学生くらいの頃にNHKか何かでトルコを知って以来、トルコに憧れていました。
そして同じような切欠でドイツにも惹かれ、卒業文集か何かにドイツにお城を買うのが夢だと書いたこともあります。
とはいえ…外国語にも外の世界にもそれ程興味はなく、淡々と暮らしておりました。
しかし数年後、ある時ふと思いました。…トルコに行ってみよう。
言葉がわからないからツアーで…と安易な考えで、ツアーひとり参加。
当時、トルコではテロが多発していて、地域によっては危険でしたし、私が滞在中にも国内では色々な事が起こっていました。
言葉がわからないながらも、ホテルのニュースを目で追っていたのを覚えています。
初めて見るモスクや違う宗教の衣装を纏った人々。様々な表情。
偉大な自然の中に垣間見える、過去と現在。
とても濃厚な2週間を過ごす事ができました。
たぶんその旅から日本へ帰って来た時だったと思います。
いつもの景色が何だか違って見えました。
駅への道も、空の色も、聞こえてくる声も。
自分という何かの存在があやふやになってしまったかのような不思議な感覚。
枝は目の前に幾つも広がっていて、渡るのも折るのも突くのも撫でるのも全て自分次第だと気付きました。
風が吹くだけで、確実に何かが変わります。
変わっていく美しさ、変わらない美しさ。
小さい頃から決めていることがひとつだけあります。
それは、「はじめてする時の気持ちを忘れないで大切にしよう」という事です。
これはどこから持って来た考えか覚えていませんが、わたしは忘れてしまう事をすごく勿体ないと感じます。
それとも、自分の存在していた理由を記憶から辿っているのかもしれません。
私はよく人から泣くタイミングがわからない、とか笑うタイミングがずれてるとか言われます。
そして、変化を恐れないとも言われます。
初めて人とキスをした時、ただ怖くて泣きました。
何かが音をたてながら変化していくのを感じたからです。
大きな渦に呑み込まれていくよりも、小さく欠けていったり何かを吸収していったりする方が私にとっては刺激が強いようです。
数年後、また何かの拍子に思いました。
…英語くらい喋れるようになった方がいいかもしれない。
思いつきのまま、カナダに英語を勉強しに行きました。
わからない言葉に埋もれるのは、とても心地よく自分自身と向きあう時間にも恵まれました。
囲まれる苦しさから解放され、軽くなれた気もしました。
短い時間の中で、たくさんの人々と出会い、耳を澄ましました。できるだけ。
太陽の強さも、緑の柔らかさも、時間の流れも優しいことに再び気がつけました。
言葉の所為かもしれないし、出会った人々のおかげかもしれない。
ただ、もっと見てみようと思いました。行かなきゃいけないとも。
私が何処かへ行くことによって、私を通して何かや誰かが一緒に旅ができるような気がしたのです。
本当は私は全然優しくもないし、柔軟でも賢くもないし、角柱のようだったと思います。
でも今はちょっと円錐に近づいた気分です。
おいしいものを求めて旅をするひと。
誰かに会うために旅をするひと。
過去を知るために旅をするひと。
地球と触れ合うために旅をするひと。
理由も目的地もそれぞれだけど、いのちは毎日どこかで旅をしているのだと思います。
電車で会社に行ったり。
野菜を食べたり。
海へ流れ着いたり。
ひとりでいるのも、ぼーっとするのも、ゲームをするのも、本を読むのも、映画を観るのも好きですが、やっぱり旅もやめられません。
だって、とても勉強になるんですもの。
自分やみんなのからだにとけこんでいく気がするのです。
だから、旅をします。
ただマーブル模様になりたいだけです。
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